20歳を迎えた息子

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20歳を迎えた息子を持つ母の気持ち

長男が20歳を迎えた。

親馬鹿ながら、彼に会いに行こうと企んでいたが

いや、待てよ。彼女でもいて遭遇したら嫌じゃない?

なので念のため、予定を聞くと、

久しぶりにゆっくり温泉予約したから行ってくるよ…

本人不在のお誕生日。

会いにいきたかったけれど、当然ながら20才だ。
予定ありで、母の出番なし。
 

20年前初めての出産

 

つわりは私はほとんどなかったけれど、お産中、夫が焼き肉やに行ったと聞けば私も食べたいと涙が出たり、しんどい時は、お米をとぐのも苦痛で、御釜の中のお米を、泡だて器でグルグルお米を洗ったりした自分に驚いたし。よく寝ていたし。
臨月に入り、これが陣痛なの?と思ったらまさかの膀胱炎で病院通い。
こんなに陣痛が大変だなんて想像もしなかった。
産まれた瞬間にどんな嫁がくるんだろうと想像した自分も恐ろしい気もした。

 

子ども一筋幼少時代

 
とにかく子どもには、いろんなことを体験させたかった。
まだ1歳なのに、体操教室に一緒に通った。
2歳くらいになると英語教室にも行ってみた。
それがどうも集団が好きではないらしい。
人と同じことをするのがどうも嫌?
ちっとも他のお子さんのように動く様子がない。
何だか自分の小さい時を見ているような感じさえした。
グループの音楽教室の体験レッスンに行くとまさかの大音量の中、わが子だけが構わず爆睡!!
英語教室では母子分離の年齢になると離れず泣いてしまうのが、幼児教室の習い事も私の膝から離れず常に観察君。
家でも教育ママ化していた私は「ちえ・もじ・かず」のプリントを毎日させた。
幼稚園では、彼の頑固さは明らかで、自分の世界に入ることもあった。
卒園アルバムの撮影もちょっと先生が襟を正したのが気に食わなかったようで、「写真を撮らない」と最後まで粘る。
マンモス幼稚園だったが、卒園前に園長先生にお手紙を書くとその日に3枚も返事がくるほど覚えてもらえる子どもだった。園長先生の考え方もとても好きだった。
 
そんな彼も家では、本当に私に優しかった。
2人目を身ごもっていた時には、自分の頭の高さにあるお布団を私のために敷いてくれようとした。
まだ弟が1歳くらいだったかな、お誕生日にビー玉をプレゼントすると用意してくれたり、
私がピアノのレッスンをしていた時には、子ども部屋で一生懸命面倒を見てくれて、レッスンが終わった時には、疲れ果てて次男は一人で遊ぶ中、ぐったり寝てしまっていたり。
2人が叩きあったり、喧嘩する姿は全く記憶にない。だから、次男はいつもお兄ちゃんにくっついて回った。

子離れを始めた小学校時代

 
小学校に入り、行動範囲が広がりながらも「お母さんに聞いてみないと」と。
彼が自分の意思で動くことが出来ないほど縛っていた自分に気付いて、『このままだと彼は壊れてしまう!』とい感じた瞬間があった。
彼を縛りすぎていたと気付きながらも、「学校に行きたくない」という彼を無理やり引っ張って行くこともあれば、「みんなの税金で勉強できてるんだから」と訳の分からない言葉で玄関から送り出したこともあった。
今思うと彼を苦しめていたなぁと本当に反省する。
 
相変わらずの頑固さと想いをため込みがちで、気持ちをたまりにためて学校を飛び出したこともあった。
でもその時もサポートしてくれる先生がとても良かった。
「彼は自分で選択し自分で行動しますから。見ててくださいお母さん」と
教室にすんなり行けなくても、チャイムが鳴ったら教室に戻ると本人は言ったよう。
先生と二人で彼の姿をそっと見守った。
校舎の裏で座り込んでいた彼がチャイムが鳴った瞬間、スッと何事もないように教室へ戻る。
そんな姿を見ながら涙が出て止まらないこともあったかな。
 
大好きなサッカーに打ち込みながらも体調の調整、周りの言葉を聞くのも辛い時もあれば、私自身の言葉で彼らの仲間としての絆を壊すかもしれないという母としての大失敗もありました。
本当によく頑張る子だった。
勉強しろとは小学校になって一言も言った覚えがない。
幼児期にプリントを習慣化していたことが良かったのか、それよりも次男坊に目が行っていたのか。
それに私は認識せずして彼を2、3年生の頃塾に入れており、まわりのお母様方に「受験するんでしょ?」と言われて彼を通わせていた塾は進学塾と気付きやめたという。
ホントに息子はこんな母によくついてきたと思う。
私がしんどい時は、長男は言葉は発しないけれど、そっと珈琲を入れてくれたし、次男はその横で私にニッコリ笑顔をふりまいてくれた。
私のそのままを受け入れてくれるのは彼らだった。

サッカーに打ち込む中学時代

当時住んでいた地域の中学校はとてもサッカーが強い学校で、彼は嬉しくてたまらなかったのだろう。
入学前からグランドが見えるところまでそっと観に行っていたなあ。
入学してからもサッカー部は人数多く、A群B群とチーム分けされる中、行ったり来たり。
努力しても報われないこともあれば、真面目なだけに、いい加減にしている部員が許せなかったり。
切磋琢磨。人間関係。いろいろと成長した時代でもあったのではないかなぁ。
私は彼の言葉の要求通りに、ほとんど試合を観に行くことはしなかった。
でもどうだったのかな。
本当はもっと行っても良かったのかな?
オフになれば彼は無になれるのか、料理本やお菓子の本を見たりして甘いものや体に良さそうなものを作ることもあった。
私よりよっぽど丁寧に彼は作る。
それが彼が周りからも彼なりに得られる「信頼、安心感」を与える良さなのだとも思った。
サッカーのポジションもそう。
バックで全体を見渡し目を配り、守る。
それは幼いころから、前に出る子ではなかったけれど、決して何も考えてないわけではなくて、俯瞰して観る力、そして内観する積極性。
 
県外受験をすると決まってからは学校選びは大変だった。
広島は何かとシステムが大阪とは違う、偏差値も公立、私立共に中間レベルがない。
なかなか情報もネット情報しかない中、何が本当か?
とにかく旅費はかかったけれど、4校はオープンスクールに見学に行き、彼が受験校を選択した。
1人で新幹線に乗り受験し、発表も一人で新幹線に乗って見に行く。
自分もそうだったけれど、親はハラハラしてならなかったなぁ。
運よく、全て合格もし、第1志望校に入学できた。

自問自答が続く高校生時代

 
高校入学して、期待とわくわくとで入ったサッカー部。
恐らく同じようにサッカーをしてきても、考え方や文化、地域性など想像とはきっと違っていたのだろう。
入部体験してすぐだったかな。
帰ってきて大泣きしていたのを今でも忘れられない。
私自身も正直入学当日、本人が選択した学校だったとはいえ、軍隊に入れたような気持ちになり涙が出た。
文武両道。
朝6時前には家を出る。私も5時にはお弁当作るのに起きる毎日。
部活でも食事管理、記録もする時期もあり、親としても大変ではあったけれど、子どもの頑張っている姿を見るとぼやくわけにもいかない。
移動中は常に彼は単語帳を持っていたなぁ。
 
高校3年間。彼の表情はいつも厳しかったように思う。
そして教育者、大人の姿を俯瞰して観ながら、葛藤し自問自答している姿。
親に対しても思うことはたくさんあっただろう。
 

羽根を広げ始めた大学生活

 
第1志望の大学には入れなかったけれど、それはそれで、彼は今の環境があっている様子も見受けられる。
初めて県外に出て、1人暮らし。でもなぜか母としては、1人暮らしもさほど心配がなかった。
責任感がある、学ぶ姿勢もある、時々おっちょこちょいで失敗もするけれど、人に対しては余計なトラブルも幼いころにたくさんしてきているからか回避することも考える力も幾分かはある。
金銭感覚も親以上にしっかりしているし、料理も出来る。
彼が大学生になり、彼の想いが綴られているnoteというサイトやツイッターなどSNSを通して、彼の想いを改めて感じつつ、考えや想いを誰の評価などを求めるわけではなく、整理しながらアウトプットしている姿を垣間見ると本当によく頑張っていると親馬鹿ながら思う。
 
彼は忘れていることもあるだろうし、逆に私が覚えてないこともあるだろうし。
きりがないくらい20年、いっぱいあります。
 
先日彼があるシリーズものの紹介You Tube,にあがっていた動画。
そこで彼が発している言葉に涙か出て止まらないのだけど、何度も何度も再生して泣けてきました。
「僕は人との繋がりで活性化されることはたくさんあると思っています。僕が政治に期待することは、教育から失敗を恐れず挑戦する人が増え、生きやすい社会になることです。」
20歳の息子と自分の想いが重なっていると初めて知った瞬間。
子どもはあずかりもの。
これから社会の中で志を持って生きて行ってほしい。
 
「生きやすい世の中に」
 
それは人としての尊重。
考え方が違ったっていいじゃない!
失敗したっていいじゃない!
そこで人を排除するのではなく、受け止める、繋がる。そこに人としての学びがある。
 
この20年。
私自身が変わったのではないかな?
少々のことでは動じないのは経験済みなのだが
「聴くこと」
「相手の行動から現れる想いを感じること」を意識出来るようになったのは、いつでも私を観てくれていた彼らのお陰だと思う。
 
20歳を迎えた息子を持つ母の気持ち。本当に生まれてきてくれて、ありがとう!
 
 

 

 

この記事を書いた人

川野 恵美

音大生時代より音楽教室、サントリーホールレセプショにニストとしても従事。結婚、出産後は大阪にて子どもや保護者向けコンサートや音楽活動をしながらPTAや音楽家協会などの地域に根付いたボランティア活動も行う。 子どもの節目の行事を切っ掛けに幼いころから好きだった着物を日常着としてもこよなく愛し身に纏う生活をしている。 現在は家業の「美と健康」の会社(株)五愛を従事しながら「きものとピアノのお教室」を経営。 様々な自分の「好き」音楽や文化を媒体に「生きやすい世の中に」 心地よい居場所作りを目指している。 人との繋がり、話を聴くこと、話すことが好きでライフワークとしてのインターネットラジオパーソナリティーとしても8年目を迎える。

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